南牧北小学校の紹介


 南牧北小学校は、八ヶ岳の麓にある素晴らしい自然に囲まれた 小学校です。

 各学年単級ですが、少人数の特性や地域の持つ教育力の高さに 支えられ、子どもたちは未来に向かって力いっぱい学習に取り組んでいます。

 芝生の校庭で子どもたちはのびのびと遊んでいます。

 3階建の校舎の裏にある裏山も子どもたちが活動するフィールド です。


 校舎の横には小淵沢駅と小諸駅までを結ぶJR小海線の高原鉄道が走っています。

 学校のすぐ近くに佐久海ノ口駅があります。


 雪が降ると、校庭にはたくさんのかまくらが出現します。

かまくらを作ったり、ソリすべりをしたり、雪合戦をしたり、 元気よく遊んでいます。


 全校児童がこのランチルームに集まり給食をいただきます。

ランチルーム中央に配膳台があり、仲間と協力して給食の準備をします。



南牧北小学校 校歌

グランドデザイン



歴史

明治 7年(1874年) 今は南牧村の地区となった海尻村に大月学校、同じように海ノ口村に敦文学校、広瀬村に敦分学校支校が開かれた。  

明治 8年(1875年) 板橋村、平沢村にも敦分学校が開かれた。 

明治22年(1889年) 本校を海尻校とし、海ノ口、板橋、平沢に分教場を置た。

明治23年(1890年) 南牧尋常小学校として、新しく出発。 本校を海尻校とした。 

明治43年(1910年) 本校を現在地に新築。 前年の海ノ口分校の火災焼失に伴い、当校廃止。 平沢、広瀬分校建築。

明治44年(1911年) 板橋分校新築。 南牧尋常小学校に実業補習学校を併設した。

大正 8年(1919年) 高等科併設。

 

昭和11年(1936年) 本校舎を2階建てに改築

昭和16年(1941年)南牧国民学校と名前を変えた。 

昭和20年(1945年)には高等科の授業を停止、生徒は通学勤労動員として海尻暗きょ排水、広瀬農道工事に携わった。 同年8月終戦。

昭和22年(1947年)、南牧小学校と名前を変え、教育基本法、学校教育法のもとに新しくスタート。 

昭和24年(1949年)野辺山分校が開校。

昭和32年(1957年)板橋野辺山両分校を統合し板野分校を開校。 現在の2校体制の基礎が出来、完全給食体制も開始した。

昭和34年(1959年)の台風7号、15号による被害や昭和36年(1961年)の火災事故に拘わらず、村民の寄付や協力に支えられて、昭和40年(1965年)には南牧教育90周年記念事業を挙行。 校章、校歌を制定し、記念誌を発行。

昭和52年(1977年)本校が南牧北小学校となり、板野分校・平沢分校を統合し、南牧南小学校となる。

昭和58年(1983年)二年に渡る南牧北小学校校舎全面改築工事及び体育館建設工事が完了する。

 以後、音楽やスケートの分野でも業績を残される。


沿革史

明治 7年 海尻村に大月学校、海ノ口村に敦文学校、広瀬村に敦文学校支校を開く。

明治 8年 板橋村・平沢村に敦文学校支校を開く。

明治22年 本校海尻にあり、海ノ口・板橋・平沢に分教場を置く。

明治23年 南牧尋常小学校。海尻が本校。明治43年まで仮校舎。

明治42年 海ノ口分校火災焼失。2部授業。

明治43年 本校舎現在地に新築し、本校移転。海ノ口分校廃止。平沢・広瀬分校建築。

明治44年 板橋分校建築。南牧尋常小学校に実業補修学校を併設。

大正 6年 本校舎増築。

大正 8年 高等科併設。南牧尋常高等小学校。

昭和 4年 野辺山市場にて、本校・広瀬・板橋の合同運動会行われる。

昭和11年 本校舎改築落成。2階建てとなる。旧校舎を板橋・広瀬に移転。

昭和15年 皇紀2600年記念裏山美化作業植樹。

昭和16年 南牧国民学校となる。村民の労力奉仕にて校庭拡張。

昭和20年 高等科授業停止。通学勤労動員し、海尻暗渠排水、広瀬農道工事など。

昭和22年 南牧小学校と名称を改める。教育基本法・学校教育法公布。

昭和24年 野辺山分校開校式。

昭和28年 本校給食室完成。完全給食開始。

昭和30年 本校講堂落成。

昭和34年 台風7号・15号の被害甚大。本・分校とも応急の処置をとる。

昭和36年 給食室付近より出火。宿直室・給食室・音楽室焼失。(2月10日) 新校舎落成。

昭和38年 水生動物池、音質、科学室などの施設設置。

昭和40年 南牧教育90周年記念事業挙行。校章・校歌制定。記念誌発行。

昭和41年 NHK合唱コンクール東信大会優良校。学習林植樹。バックネット新調。

昭和42年 NHK合唱コンクール東信大会2位。第12回学研教育賞受賞。

昭和43年 校歌碑建立。NHK合唱コンクール東信大会優秀校。文部省道徳実験校発表会開催。

昭和44年 小中学校教職員寮落成。小中学校プール落成。本年より大芝リンクにて校内スケート大会。

昭和45年 第13回長野県野鳥巣箱架設利用コンクール特撰知事賞受賞。裏山の土砂集中豪雨にて流出。裏山土砂崩壊防止工事。

昭和46年 広瀬分校廃止し、本校に統合。児童列車にて本校へ通学。

昭和47年 大芝橋台風にて流出し、仮橋のできるまで鉄橋を渡り登下校。

昭和48年 石油ストーブ全教室に設置。

昭和50年 長野県教育センター出張研修会を本校で開催。依田貢校長脳溢血のため急逝。教育委員会葬を挙行。

昭和52年 本校が南牧北小学校となり、板橋・平沢分校を統合し、南牧南小学校となる。

昭和53年 校旗伝達式が行われる。

昭和56年 南牧北小学校校舎全面改築工事(第一期工事)開始。

昭和57年 第一期工事完了。第二期工事(体育館建設)開始。

昭和58年 第二期工事完了。二年に渡る敷地造成工事完了。視察者多数来校。佐久地区国語教育課程研究発表会場校となる。

昭和59年 PTA作業により校庭スケートリンクができる。フラワーブラボーコンクールに参加し中日新聞社より奨励賞受賞。

昭和60年 黒沼ユリ子音楽院で学ぶメキシコの児童来校。本校児童と交歓。5・6年全員が「みどりの少年団」に入団。

昭和61年 児童図書・鼓笛用ドラム購入。幼児教育研究指導校となり、研究授業と研究発表。

昭和62年 メキシコ大使館より地震見舞いに対する感謝状をいただく。

昭和63年 佐久地区社会科教育課程研究発表会場校となる。

平成 元年 吉沢繁氏より一輪車10台寄贈される。

平成 2年 SBC合唱コンクールで、合唱クラブと6年生が優良奨励賞受賞。

平成 3年 屋内温水プール完成。10月完成式と泳ぎ初め。

平成 4年 屋外プール跡地を整備し、駐車場完成。

平成 5年 校長住宅完成。

平成 6年 学校保健統計調査に関する功績で文部大臣より表彰を受ける。

平成 8年 第28回県視聴覚放送研究大会の公開授業校となる。(国語・音楽)

平成 9年 南牧北小学校校舎大規模改修工事が実施される。

平成10年 コンピュータ教室完成。3学期からコンピュータを利用しての授業開始。

平成11年 佐久地方事務所林務課と村の協力を得て学校林(森の校庭)を整備する。

平成12年 コンピュータ教室にインターネット接続。

平成14年 ランチルームに給湯設備設置。

平成16年 NHK合唱コンクール東信大会銀賞受賞。

平成17年 NHK合唱コンクール東信大会銅賞受賞。南牧村美術民俗資料館にて「感性の花咲く北小の子どもたち」展開催。

平成18年 校内音楽会を八ヶ岳音楽堂で初めて実施する。NHK合唱コンクール東信大会優良賞受賞。

平成19年 校庭芝生化工事着工4月~8月末完成 引き渡し。NHK合唱コンクール東信大会優秀賞獲得。

平成22年 合唱クラブNHK合唱コンクール東信大会で優秀賞獲得。

平成23年 音楽会を北小体育館で実施。北小子どもたち展11月2日~11月27日(南牧村美術民族資料館)。

平成24年 合唱クラブNHK合唱コンクール東信大会(二部)で優秀賞受賞。第1回マラソン大会を実施する(10月24日)。

平成25年 「よい歯の学校」優秀賞を二年連続で受賞。

平成26年 「よい歯の学校」最優秀賞を受賞。

平成27年 海尻地区も4月よりバス通学になる。スケートクラブ男子リレーで県1位となる。

平成28年 小学校教育課程研究協議会 図画工作科研究授業開催。

平成29年 菊池八郎氏の寄付により、タブレット15台を購入。

平成30年 5年生、田をお借りし、稲作を始める。

令和 2年 3月新型コロナウイルス対応で、臨時休業措置を実施。 4月に再度、臨時休業措置を実施。  6年生、静岡・山梨への修学旅行を行う。

令和 3年 GIGAスクール構想に対応し、一人1台のPC・各教室に電子黒板を導入。 1月新型コロナウイルス対応で、臨時休業措置を実施。   

令和 4年 3年ぶりに東京への修学旅行。